音楽療法士リコの独白 3) (生野)A Monologue by Rico, A Music Therapist 3)

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生野 里花
お茶の水女子大学基幹研究院研究員。アメリカ音楽療法協会・日本音楽療法学会認定音楽療法士、公認心理師。野花ひととおんがく研究舎主宰。
私の名前はリコ(利己)です。「クライエントの福利優先」「社会に貢献できる領域の発展」という音楽療法士の義務をいっとき傍に置き、生身で、弱くて、迷いの多いひとりの利己的人間の窓から、音楽療法への思いをそっとつぶやきます。「フテキセツ」な点はなにとぞご容赦いただき、フィクションとしてお読みください。This is quiet fictional sharing of Rico, (selfish-ness) the music therapist, through the lens of a fallible, vulnerable, and often-confused individual.
つぶやき、こだわり、しぶとさ、傷つきやすさが聴かれること
地方の小さな美術館を訪れると、地域ゆかりの美術家たちの作品が展示されていた。誰もが知っているような有名な美術家ではないが、どの作品も個性的で力づよい。ひとりひとりの作家のつぶやき、こだわり、しぶとさ、傷つきやすさがこめられ、見るものに向かって叫んでいる。ふと思った。この美術家たちはなんらかの選出過程を経て、たまたま公金で作品を保存してもらえる機会を得たから、こうして展示され、曲がりなりにも表現を聴かれ続けることができている。一方、選出されなかった側の美術家のたくさんのつぶやき、こだわり、しぶとさ、傷つきやすさは、叫ぶ声を得ることができないまま、すでに人生も作品保存も終えているのだろう。
つぶやき、こだわり、しぶとさ、傷つきやすさを抱え、それを日々表現しながら生きているのは、芸術家だけではない。人間なら誰でもそうだ。しかしそれは、人からはもちろん、自分からもじっくり聴かれることは少ない。音楽療法で出会うCl.たちはさらに、叫ぶ声自体が機能しにくい人たちであることが多い。でも「福祉」「介護」「療育」といった公的なケアの場ではなによりもまず安全と生活が優先され、つぶやき、こだわり、しぶとさ、傷つきやすさといった形になりにくいものまではなかなか手がまわらない。彼らの表現が聴かれるかどうかは、ケアラーの側がちょっとした心の尺度、時間の余裕を持つことを許されているかどうかにかかっている。もっと露骨に言えば、その人がたまたまもっている資金や環境が、どれくらい細やかなケア人材を雇えるかにかかっている。表現というものは、聴かれなければ、やがて自分にとってさえなかったものとなる。なんて恐ろしいことだろう。
わたしは音楽療法士という謎な職業によって、それを聴く人になるよ。そして、わたし自身もどこかで表現していいという約束を忘れないための歯止めにするよ。