音楽療法士リコの独白(生野) 1) A Monologue by Rico, A Music Therapist 1)

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#関係性
生野 里花
お茶の水女子大学基幹研究院研究員。アメリカ音楽療法協会・日本音楽療法学会認定音楽療法士、公認心理師。野花ひととおんがく研究舎主宰。
私の名前はリコ(利己)です。音楽療法士として当然の義務である「クライエントの福利最優先」「社会に貢献できる領域の発展」をいっとき傍に置き、生身で、弱くて、迷いの多いひとりの利己的人間の窓から、音楽療法への思いをそっとつぶやきます。「フテキセツ」な点はなにとぞご容赦いただき、フィクションとしてお読みください。This is quiet fictional sharing of music therapist Rico (=selfish-ness), through the lens of a fallible, vulnerable, and often-confused individual.
人生の逃げ場
最近、気がついた、というか、前から薄々気づいていた。私は自分のために、このしごとをやっているということに。話せば長いがかいつまんで言ってしまうと、私は社会人、労働者、音楽家、女性、市民など、なにをやってもまわりとすっきり折り合わず、端っこにおいやられたり、暗礁に乗り上げてしまうことが多々あった。どっちを向いてもはじき出されるような、逃げ惑うような中で、ある日このしごとの一端にたどりつき、以来ここに住んでいる。
その小さなスペースならなんとか呼吸ができるので、このしごとをなんとか死守してきた。「音楽療法」というその表札は、ほんとうはあまり好きじゃないのだが、はずすこともできずにきた。勉強したり練習したり、苦手な事務をこなしたり、「ケンキュウ」したり、人前で発表したりしているのも、考えてみれば、常に壁が迫ってくるようなこのスペースを確保し続けるための切ない努力のような気がしてくる。お金や時間をかけてとった学位や資格は普段はあまり役に立たないが、いざという時身を守る鎧のようなものだ。調子の悪いときも、生活がうまく回っていない時も、音楽療法のクライエントといる時、私はそれらから解放され、いくらか人間らしい息遣いを回復できる。
つまり、「音楽療法」がないと、私はろくでもない時間を生きるような気がする。いやいや、「音楽療法士」の名のもとにそんな臨床をしているリコこそろくでもないのか?