りんこま合宿 研究についてのディスカッション(伊藤版)

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#研究の方法
伊藤 孝子
名古屋芸術大学教員。日本音楽療法学会認定音楽療法士。音楽療法グループ「マイエ」代表。
2026年3月14日、15日に鎌倉でりんこま合宿が行われました。

りんこまでは、これまで研究の土壌には上がりにくかったものの、実践の中では確かに息づき、重要な意味を帯びている事柄を、なんとか研究として捉えようという試みにチャレンジしています。
それぞれのメンバーが個性や関心を活かした研究アイディアを語り合い、議論が白熱した後、私自身は少し焦りながら、いわゆる「音楽療法の外側」と思われているものを掬い上げるような研究がしたい、という枠の定まらない話と、いくつかの思いつきに近いアイデアを話しました。
思いつきのアイデア
その1
ある青年が主体的に展開した「1年間のセッション振り返りBEST10!」をもとに、療法室の外に広がる青年の人生・生活と、青年自身が音楽療法をどのように意味づけているのかを探る試み
その2
ある音楽療法士のセッション以外の時間に同行し、その実践や思考を探るgo-along research ゴー・アロング・リサーチ(というものが、すでにあるらしい)
これについて、三人から次のような意見をもらいました。大きくは二つです。
一つ目と二つ目は、「外側」といっても視点が異なるのではないか?
その1は、いわゆる「音楽療法の専門性」とされているものの外側に関わる問い
音楽療法という専門性を高めていく立ち位置によって、クライエントとの対等性や
音楽療法の意味づけが一方向的になってしまうのではないか、という疑問が関心の
根底にあります。
その2は、音楽療法士の仕事の核となる時間(対価が支払われるセッション時間)
の外側に関わる問い
準備や移動、運搬、その中での整理など、セッション時間以外の行為や思考の中に、
思いがけない「音楽療法士の専門性」が隠れているのではないか、という関心です。
そもそも「外側」とは、どこから見た外側なの?
音楽療法士の中に、「典型的な音楽療法」を実践している人が、
そもそもどれほどいるのだろうか。
その場に応じて、それぞれが実践を展開しているのではないか。
たしかに・・・
「外側」と乱暴にひとまとめにしてしまうことで、視点の違いや自分の思いの曖昧さが
見えてないことに気づかされました。
帰りの新幹線で反芻しながら考えたこと
「外側」とは、自分以外の誰かや何かに対して見ているものではなく、自分自身の実践経験の時間の流れの中で、クライエントや関係者、実践そのもの、あるいは仲間の音楽療法士や学生との関わりの中で新たに気づかされたことなのかもしれません。
「いわゆる典型的な音楽療法」というものに実体があるわけではなく、自分がはっとしたことや、一度は信じていたことが揺さぶられる経験、あるいは良いと思っていたことに別の側面(弊害)があると気づかされる瞬間、そうしたことを自分は今大切にしているのだと思います。
そして、それらを研究としてもじっくり見つめてみたい。そう考えると、その1とその2は、自分の思考の方向性としてはつながっているように感じました。
さて最終的に
りんこまメンバーは、とにかく正しい研究法を当てはめることよりも、「やってみたい」と思った方向を信じて進んでみよう、というスタンスです。最初から研究目的が明確でなくてもよいし、そうした挑戦の中から新しいものが見えてくるかもしれない。
そんな空気に背中を押されて、思いつきに近いこの二つのアイデアにも、チャレンジしてみようと思いました。
実際に研究として進めるには、倫理的な配慮などなど現実的なハードルも多々ありますが……
ひえーっ。
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